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2017年8月10日 (木)

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先のブログに

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人がどう想いどう動きどう感じるかなんて

ストーカーの存在を知るなら
わかるだろうと

書いたのだけど、

人はいつだって驕っている
自分は違う善だと思い込んでいる。

そうして自身がする行為は想いがあるから
正当だと思い込むんだ。

ストーカーというものは事件を起こすモノだけではない。

誰かが誰かを想いそうした言動を
受け取る側が不快に思い迷惑に感じたら
ストーカーなんだよ。

人が人に何か出来ていると思えているのは
こころが通じ合い
させてもらってる行為なんだ。

その行為が善意の上であろうが
悪意からのものであろうが、

人という生き物が
自分はこう想うからと
それで何かを変えられるように
思い込んでしまったなら、

その者は
ストーカー予備軍であり
ストーカーの被害者に成り得るモノでも
あるように思うんだよね。

もちろん酷いストーカーなんかは

そうでないモノをも
自身の手にかけ
自身の業の被害者にしていくのだろうけどね。

人の想いとはそんなものなんだ。

自身が務める力には成り得るが
それが過ぎれば、
自身が何かを出来ているという
素晴らしく有り難いことさえ、

自らが汚し
自分自身を傷つけるモノに
自らが変えていくというもの。

そんなものに過ぎないんだ。

思い遣りを持つモノは
それを知るから
自己を慎むのだろう。

向き合うべきは
自身の想い。

我敵は自身の想いと、
自身の内にあることを知るように思う。

だから、思い遣りある人は
人を赦せるのだと思う。

それが想いであることに気付くから。

自身がそれを知り
自己を慎むことで

相手がどうあろうとも
大丈夫だよと。
自己に責任を持ち
気にしなくていいと言えるのだから

人の善意も悪意も大差ないと
善意も過ぎれば悪意と変わらないのだから。

それを知るからまた
大丈夫だと言えるように思うんだ。

そうした強い人間に
わたしは成りたいなと思うのでした

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